人は生まれ変わって転生を繰り返す。人の魂は永遠のものである。地球人類の魂は皆何十回、何百回と生まれ変わり無数の人生を送る。そして大いなる自然の恵みの中で人々は仲良く豊かに暮せと神は言う。その元になるのは愛である。愛は簡単で難しい。誰もが愛を知っていながらそれを広げ貫くのは困難である。
生命は豊かな自然の中で脈打ちながら生命の営みを続けている。意識の永遠性を感じることが出来た時、人の意識は変容する。理屈抜きに神の存在、生命の本質を肌で感じる。自然の中で息づくあらゆる生命と繋がっていることに気付く。森の中で、海の中で、密かに息づくあらゆる生命は、実は自分自身の一部であるということに気付く。それは人生で最も価値ある瞬間である。その感動が人を神にする。
永遠とは時間にあらず。それは内なる感覚である。自と他の境界が消える時、意識は限界を越えて無限に至る。それは意識の奥底に創めからあって人が気付くのを静かに待っている。果てしない無限の静寂の中で究極の本質が息づいている。それなのに人類は自分の事ばかり考え思想の違い、宗教の違いを理由に争い、殺戮と破壊を続けてきた。その影でどんなに他の生命達は嘆き悲しんでいたことだろう。
人は生まれ変わってもその本質は変わらない。表面的には違っていても本質的には違いがない。今この時に気付かずしていつ気付くというのか。自分の肉体について考えてみなさい。自分の指先が、足先がちょっとでも傷ついたなら痛くて悲しいと感じる。だが、人類は自分と繋がっている小さな生命達を平気で傷つけ悲しませている。それは肉体を持って生きている間しか気付けないことである。だから早く気付きなさい。意識の変容は誰にでも起こるのだから。
神と呼ばれる存在にもかつては肉体を持った人間だったものも居る。遠い遠い遥かな昔、あるいは太古の地球に、あるいは遠い別の星で、あるいはこの宇宙が生まれる前のさらに古い別の宇宙で。生命の円環は途切れることなく永遠に連なり回りつづける。この地球の人類もいつかこの地球を飛び立ち、新たな宇宙を誕生させる。存在も非存在もすべては生命であり、意識であり、いかなる差異もない。同じように大自然の中で人類も含め地球上に住むあらゆる生命は繋がって互いに影響している。人間の体に喩えるなら、人類はさながら頭であり、他の生命達は手足や胴体などあらゆる体の部分である。仮に、頭脳が正しい判断をできなくなればその頭脳を持つ肉体は自力で生きてはいけない。
生命の進化は永遠に続く。途切れることなく回り続ける。始まりもなく終わりもない。有と無を繰り返して回る。それが生命の創造力の真の本質である。無の中で意識が息づき目覚めてそれが創造性となる。創造性は存在となりやがて再び無に帰る。生命の車輪は回転し続け無限に豊かになってゆく。地球上のあらゆる生命は母なる地球という生命の車輪によって生かされている。人類も又例外ではなく母なる地球に生かされている。人類はそろそろ悟らなければならない。大自然の力によって自分達は生かされていると。
そして意識の本質には境界はない。すべての意識は繋がっている。宇宙は一つの意識である。神も人もその一部であり、その中心であり、その全体である。全体という一つの意識は愛と調和で満たされ歓喜しながら輝く。境界が繋がっているのだから人類の本質は宇宙そのものである。人類は愚かしい考えから離れ大自然の中にある法則に従った生き方をすべきである。大自然の法側は"愛と調和"である。
愛と調和の法則の中に入れば即ち大自然の営みの中に入る。大自然によって生かされているという事を知る。自分勝手な争いをしなくなり愛が拡大してゆく。生命は生命の元で皆繋がっていると悟りどんな小さな生命でも殺すことは出来なくなる。その気付きが意識を変容させる。その気付きが人類を神にする。その気付きが人類の新しい出発点となる。そこから生命の新しいサイクルが始まるのである。そこから神のサイクルが始まるのである。
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